指先の白昼夢

back numberさんの曲を元にしたお話やオリジナルなどなど

理由だけでは続けられない

アイボリーのVネックのノーカラーブラウスにベージュのレースタイトスカート。足元は7センチヒールのブーティーを履いている美織は、カフェから窓の外を眺めていた。
ここに来るまで羽織っていたキャメルのチェスターコートは椅子の背もたれに畳んでかけた。
前日に吟味に吟味を重ねて選んだコーディネートは、シンプルだけど自分によく似合うものばかりだ。
せっかくお気に入りの洋服に身を包んでいるというのに待ち合わせの時間から30分も過ぎても尚ここにいる自分が急に滑稽に思えてくる。
美味しいものでも食べて帰ろうかな…と思っていると、右手に握りしめたスマホがブッと短く唸った。


「ごめんあと3分で着く!」


通知だけ確認して、美織は慌てて荷物を手に取りトイレに向かった。
リップを塗り直し、前髪を整えてコートを羽織る。
鏡の中の美織はもうすっかり柔らかい表情をしていたので、違うでしょと心の中でつぶやき自分を戒めた。
店を出ると、ちょうど信号が点滅し赤になるところだった。
走れば間に合うかもしれないと右足を蹴り出そうとした瞬間、視界にすっと現れたスーツ姿の男性に美織は顔を綻ばせる。
「ごめんな、美織。」
ほんの少し息を切らしてすまなそうな声を出しているが、その顔は優しそうな笑みをたたえている。
許されるであろうと思い込んでいて、そこから出る余裕がそうさせていることを美織は知っていた。
男が差し出した手に自分の右手を絡ませながら
「うんん、お疲れ様。」
と可愛く答える。
もう帰ろうとしていたことはもちろん伏せた。
手を繋いだ時の指に金属が当たるゴツゴツとした感触には最早何も感じなくなっていた。


美織が今手を繋いでいる武田祐輔は美織の彼氏だ。
そして同時に"誰か"のものでもある。
美織が武田と出会ったのは1年前。
その日美織は友達と2人でバーで飲んでいた。
酔っ払った友達がふらふらとトイレに立った隙に話しかけてきたのが武田なのだが、その時から既に武田の指には指輪がはめられていた。


「美織お腹空いてる?」
武田の問いに美織は首を振る。次の言葉は分かっていた。
「じゃぁ行こっか。」
想像通りの言葉を言い、ぎゅっと手を握り足を早めた武田に黙ってついていく。
歩きながら何度もこれで最後、これで最後と繰り返しながら。


5分と歩かず“いつもの場所”に着く。
繁華街から少しだけ離れたところにある所謂ホテル街。
美織と武田は何度となくここに通った。
迷うことなく1軒のホテルのエントランスをくぐる。
水色のライトで照らされたクリスタル風のライオンの像が入り口横に鎮座し、その周りには南国風の植物が植えられている。
「ちょっとオシャレじゃない?」
初めて来た時に武田はそう言って笑っていたが、美織は内心悪趣味だなと思っていた。
中に入ってすぐ部屋を選ぶ武田の後ろにちょこんと立ち視線を外す。
このホテルは値段が4段階くらいに分かれているのだが、武田はいつも上から2番目の価格の部屋を選ぶ。
最初のうちは「ここでいい?」と問われコクリと頷くというやりとりもあったのだが、いつの間にかそれはなくなっていた。
エレベーターに乗って部屋に着くまではお互いに何も話さない。
武田がこの時何を考えているのか…何度となく考えては見たが、到底答えにはたどり着けそうになかった。
後ろめたさや愛情や不安、混ぜこぜになったいろんな感情を必死で押し殺しながら、後悔も高揚も美織への愛情もどれも感じ取れない温度の手を握り、表情を確認する勇気もなくただドアが開くのを待つ。
ドアが開く間際、これで最後ともう一度心の中で繰り返した。


ピカピカと部屋番が光る扉をくぐり、靴を脱ぐとすぐに武田が後ろから美織を抱きしめた。
「コート脱ごうよ。」
と腕に手をかけて離そうとする美織を無視してくるりと向き合わせ、再び強く抱きしめる。
「会いたかった…遅れてごめんな。」
泣きそうな声で言う武田に思わず美織も腕を回す。
武田の唇が優しく美織に触れ、その瞬間好きだなぁという気持ちが溢れ出してくる。
「好き…」
なんで遅れて来たのか。なんですぐホテルなのか。
言いたいことはいくつもあったはずなのにその全てを塗り替えるように武田への愛情が美織の中を埋め尽くしていく。
ここに来るまでに何度も繰り返した決心がモロモロと崩れて行くのが自分でも分かった。
次を待つように下からじっと武田を見つめる。
それに応えるように唇を重ねる武田。
最初の優しい触れ方が嘘のような激しく貪るようなキスに必死で応えるうちにさっき崩れた決心の残骸さえも溶けて消えていく。
離れたくない、好き、好き、好き…。


***


シャワーを浴びて着てきた服に再び袖を通して部屋に戻ると、武田は眠っていた。
頬をそっと触ってみたが起きる気配はない。
頭の横に置いてある携帯に手をやる。
見られることを想定していないのか、パスコードの入力をすることもなくホーム画面が開かれた。
初めて見るホーム画面に胸が締め付けられる。
幸せそうに笑う女性はウエディングドレスを着ている。
隣に立つ武田は今よりも少し若く、見たこともないようなデレデレした顔で女性を見つめている。
そういえば昔フォトウエディングをしたんだって言ってたっけ。
「嫁がしたいっていうからさ、嫌々付き合ったんだ。」
確かそう言っていた。
全く“嫌々付き合った”ようには見えない表情で写っているこの写真を今でもホーム画面にしている。
私はこの人の何なんだろう…。
何度も繰り返した自問自答。
どんなに考えても答えが出ないのは分かっていた。
武田に聞けばどんな答えをくれただろう?
優しいこの人のことだからきっと言葉を濁して、言葉を駆使して、優しく甘い嘘を吐いてくれただろう。
だけど美織には聞けなかった。
聞いていればもっと違う結末があったのかもしれない。
震える手でトークアプリを開き、自分の連絡先を削除した。
続いてトーク履歴も消去する美織の目からは次々と涙が溢れ出し、頬を伝いシーツに点々と跡をつける。
携帯を元の位置に戻し、武田の頭を撫でてみる。
まだ胸に残る愛しい気持ちを必死で振り払う。
横で一緒に眠れたらどんなにいいか…だけどそれではまたこの日々を繰り返してしまう。
甘くて優しくて、苦しくて、辛くて、出口の見えない毎日を。
美織がこの人の横でウエディングドレスを着られる日はきっと来ない。
そんなことは最初から分かっていた。
分かっていたはずなのに、心のどこかで望んでしまっていた。
叶うのなら誰かの幸せを犠牲にしてもいいとさえ思っていた。
でも、その願いが独りよがりだったことにたった今気付いてしまった。
犠牲になる幸せは“誰か”のものであり武田本人のものなのだろう。
「最後に気付けて良かった。」
せめてもの強がりは誰に聞かれることもなく部屋の隅に消えていった。


溢れ出る涙を拭うこともせず、コートを羽織り足早に部屋を出る。
エレベーターに乗りながら自分の携帯からも武田の連絡先を消す。


一番高い部屋にはしないケチなところも、かといって安い部屋にはしない見栄っ張りなところも本当はあんまり好きじゃなかった。
待ち合わせに遅れてくるところだって、指輪を外さずに抱くところだって、本当は嫌だった。
そんな男に若い人生捧げてたまるか。
きっと武田は美織がいなくなったってまた同じことを繰り返すのだ。
精一杯強がって美織は前を向く。
下品なネオンの光る街を背に、振り向くことなく歩き出した。