指先の白昼夢

back numberさんの曲を元にしたお話やオリジナルなどなど

本日はお日柄もよく

賑やかな店内で水滴が滴るジョッキを手に持つ。はしゃぐでもなく、おつかれーと一言、ジョッキを合わせる。
ごくりごくりと音を立てて豪快に飲み干す親友の陽太の顔を眺めてから、俺もジョッキに口をつけた。
「あーーっ!うめーー!」
半分ほど飲み干した陽太は、言いながらお通しの枝豆に手を伸ばした。
「お前さ、相変わらず元気なのな。」
思わず悪態をつきたくなるほど陽太は変わらない。
「まぁね!でもそういう恵一も相変わらずクールじゃん?」
俺の嫌味に気づいたそぶりも見せず、陽太はメニューを眺めはじめた。


「そういえばさぁ…」
メニューから顔も上げず、陽太が切り出す。
いつも目を見て喋る陽太がそうしない時は大抵言いにくい話が続く。
胸騒ぎを覚えてなんとなく佇まいを正すと陽太はドリンクメニューに視線を落としたまま言葉を続けた。
「葵ちゃん、結婚すんだってよ。」


あおいちゃん、けっこんすんだってよ…聞いた言葉が意味を持つのにしばらく時間を要した。
意味を理解して、今度は聞き覚えのある名前にその名前の持ち主の顔を当てはめるのに数秒。


「…あー。へぇ、そうなんだ、よかったじゃん。」


下から覗き込むように俺を見る陽太の視線に気づいて、急いで用意した言葉を口にすると胸の奥の方がチクリと痛んだ。


「だよね、めでたいよね!」


安心したようにニコリと笑う陽太に俺の本心までは届いていないようだった。
もっとも、自分でさえ予想外だった痛みなのだから当たり前かもしれない。


「何?それ誰情報なの?」


「あぁ、部活一緒だった松尾って奴がさ、葵ちゃんの親と同じ職場らしいのよ。」


「へぇ…世間って狭いのな。」


もっともらしい相槌を打ち、心の裏では親情報じゃ確実だな…と落胆した。
相手は誰なんだろうか。
陽太が答えを知ってるかはさておき、聞きたいことは山ほどあるが俺の中のわずかなプライドがそれを許さない。


「まぁ今さらどうでもいいけどな。」


「だね。恵一にはボインの麻衣ちゃんがいるもんね。」


陽太が両手で空気を揉む仕草をするから、やめろよと笑うと、
「いやいやだってさ、巨乳は正義だよ!」といつものように巨乳について熱く語り出した。


陽太の巨乳談議から仕事の話、お互いの彼女の話、親の話と一通り話し、すっかり酔っ払った俺たちは店を出た。
「じゃ、貧乳の彼女によろしくな!」


おい!と突っ込む陽太を背にして歩き出すと、急に冴え出した頭に一人の女の子の顔が浮かんだ。


葵とは高校2年の時同じクラスになった。
葵から告白されて付き合い出して、卒業して俺が地元を出てからもしばらく続いた。
でも都会の楽しさに染まり出した俺は徐々に健気に俺に会いにくる葵が面倒くさくなって、あとはお決まりのコースだった。
コンパで知り合った女と云々。
それを葵に見られて云々…だ。
コンパで知り合った女なんて顔も思い出せないのに、目を見開いて驚いた顔がみるみる青ざめて、泣き出す寸前にドアが閉まっていく光景は今でも鮮明に思い出すことができる。
あの時、俺は追いかけることもできずただ押し寄せる後悔の波に飲まれていた。


そのままお互いに連絡を取ることもせず、随所に思い出の残る家を引っ越し、社会人になり、そうして葵にとっての俺も、俺にとっての葵も“過去の人”になった。
思い出せる葵の顔は10代の頃のちょっと芋臭い化粧っ気のない顔だけだ。
あれから何年も経っているのだからそれなりに歳を重ねて、垢抜けているのだろう。
俺が想像できるのはウェディングドレスを着た芋臭い顔のままの葵だけだ。


「ただいまー。」


ドアを開けると部屋が明るいことに安堵した。
パジャマ姿でソファに座る麻衣は眠そうな顔でおかえり、と俺を受け入れてくれる。
俺の心中など悟られないようにいつも通りを装って麻衣の隣に座る。


「どうしたの?なんかあった?」


「なんもねぇよ。」


「そっか。なんか疲れたような顔してるから。飲みすぎちゃった?お水持ってこようか。」


立ち上がろうとする麻衣を制止して麻衣の太ももに頭を乗せる。
柔らかい太もも、お風呂上がりのボディソープの香り、上を見上げればたゆんたゆんなおっぱい。
完璧だな、と訳の分からないことを思うのは麻衣のいう通り飲みすぎたせいだろうか。


「酔っ払いけいちゃんは甘えん坊さんですねー。」


そう言って幼児をあやすように背中をトントンと優しく叩く麻衣にふと愛しさがこみ上げる。
意識が遠のいてしまう前に言ってしまおう。
陽太に聞いた話に触発されたのかもしれない。
酔った勢いなのかもしれない。
でもそれでもいいじゃないか。


「麻衣、結婚しようか。」


無事言い切った俺は、返事を聞くより先に遠のく意識に身を任せた。